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大きな音、豊かな響き、軽やかな音の粒…。

音の印象は、感覚的な言葉で表現されることが多いです。

もちろん、言葉で完全に置き換えることのできない「音」というものがあって、それで伝わる感覚めいたものや「何か」があるから音楽は面白いわけで。

それを表すのに、感覚的な言葉を使うのは、とても自然です。


でも、「じゃあ実際にどうやって体を動かしたらその音が出るの?」という部分は、自力で探求するに任せられがち。


指導者もうまく言葉で伝えられないのか、

「どうやって弾けばその音が出ますか?」

と聞いても、

「感覚だよ」
「脱力するイメージ」
「練習して体で理解するしかない」

なんて言い回しをされて、モヤっとすることがあります。

もちろんそこから「自分で考える姿勢」を身につけてこそ、今後ひとりでも成長できるようになるわけですし、「種だけまいて、あとは自分で気づかせる」というのは立派な指導方法です。が。

なーんかそれだけじゃない気がするんですよね。

ピアノの先生全部がそうっていうより、わたしの先生がそうなだけかも。可能性は大いにあるな。

思ってることをつらつら書きます。




想像するに。

これは想像に過ぎませんが。

ずっと「音で表現すること」を磨いてきた演奏家が、指導者になるイメージがあります。

「言葉で表現する力」は別に磨いてこなかったから、説明ができなくてもその音が出せればそれで良かったから、言葉ではうまく言えない感覚、ってのが説明でも出てきてしまうんじゃないかなと。

あと、音楽家、演奏家にはどこか求道者めいたところがあって、その姿勢を尊ぶあまり、「自力で探求する心を育てるためだ」と、あまり説明しないのかなと思ったり。

自分で考える姿勢を身につけさせるのはもちろん大切なことですが、大人の「趣味でちょっとやってみたい」程度に教えるなら、わかりやすさを重視した方がいい場面もあると思います。


教え方にも場面場面で適切なやり方があって、

・生徒の能力
・今考えている課題の難易度

を考慮して、

・丸ごと教える
・質問や材料を与えて自分で気づかせる
・丸ごと任せて見守る

くらいには対応が変わります。

本質的には、どれも「自分で気付かないとわかったことにはならない」ということを踏まえて取るべき態度です。



うーん。何が言いたいんだろう。自分でもわからなくなってきた。



「本当はこうしてほしい」「自分はこう教わった」など、気持ちもあるでしょうから、これ以上深入りはやめます。

今の先生には面と向かって自分の培ったすべてをぶつけているし、どういうことが知りたいのかをなるべく具体的に説明しています。
「この音をもっと豊かに響かせるために、体をどう使えばいいですか?肩は?上腕は?肘から先は?手首は?指は?力を入れるタイミングは?脱力する箇所は?」なんて質問責めはいつものこと。嫌な生徒かもしれない。

先生も目一杯教えてくれますが、「もっといい伝え方あるんじゃ…?」と思うことがたびたびあったので、やっぱりこれは、「担当の先生に思っていること」でした。



ピアノ弾こ。